2016年11月17日

シリーズ 四大監査法人の変遷1 ~新日本有限責任監査法人編~

管理部門・士業の転職

 

株式市場の影の立役者と言われる“監査法人”。最近では粉飾決算事件の報道により、普段馴染みのない方にも広く知られるようになりました。さて、今現在、国内にはどのくらいの数の監査法人があるのでしょうか。日本公認会計士協会によると、平成28年9月30日現在、日本には217もの監査法人があるとのことでした。その中でも、上位4つの監査法人が「四大監査法人(※1)」と呼ばれ、日本を代表する監査法人として有名です。そこで、四大監査法人は、それぞれ、どのような変遷を辿って、現体制・地位を築き上げたかについて、順に探ってみたいと思います。

監査法人の歴史と新日本有限責任監査法人

今回は、アーンスト・アンド・ヤング (Ernst & Young、略称EY)のメンバーファームである新日本有限責任監査法人の成り立ち・変遷を探ってみたいと思います。
時を遡ること49年前、1967年1月に前身である「監査法人太田哲三事務所」が日本初の監査法人として発足し、新日本有限責任監査法人の礎となる事務所が立ち上がりました。
因みに、それ以前は監査法人という制度自体がありませんでした。
1960年代前半、山陽特殊製鋼倒産事件(※2)等の粉飾決算が明らかとなる事件が多発したことを受け、監査制度を強化すべく、1966年に監査法人制度が制定されたのです。
こうした世相のニーズを受け設立された監査法人太田哲三事務所は、その後、以下、数々の合併・合流を繰り返し、現体制となりました。

監査法人太田哲三事務所の合併・統合の歴史

1985年10月 昭和監査法人と合併、太田昭和監査法人となる。
2000年4月 KPMGメンバーファームのセンチュリー監査法人と統合、監査法人太田昭和センチュリーとなる
→ダブルファーム状態となる。(※3)
2001年7月 監査法人テイケイエイ飯塚毅事務所と高千穂監査法人が合流し、新日本監査法人に改称する。
2003年2月 KPMGの監査部門を分離、あずさ監査法人を設立。KPMGとのダブルファーム状態を解消。
2007年8月 みすず監査法人(旧:中央青山監査法人)から業務移管を受け、国内最大規模の監査法人となる。
2008年7月 日本初の有限責任監査法人として、新日本有限責任監査法人となる。

 上記をご覧いただくと分かるように、現体制に至るまで、様々な合併・合流、はたまた分離を経て、現体制が形成されたのです。様々なDNAを取り入れながら拡大成長を遂げた新日本有限責任監査法人は、名実ともに国内トップの監査法人として君臨してきました。

日本初の監査法人として設立され、国内で最も早く有限責任監査法人化を成し遂げた当法人。常に業界のリーディングファームとして注目され、また、積極的な合併・統合をしてきた結果、現在のような巨大な監査法人にまで成長しました。今後はトップファームとしての真価が問われることになりそうです。

次回は有限責任監査法人トーマツについて、その変遷を探ります。

≪注釈≫
※1)現在(2016年度)、四大監査法人は一般的に、新日本有限責任監査法人、有限責任監査法人トーマツ、有限責任あずさ監査法人、PwC Japan有限責任監査法人のことを指す。
※2)1965年に山陽特殊製鋼が倒産、会社更生法の適用を申請した際、同社経営陣が粉飾決算していたことが明るみになった事件。山崎豊子氏の小説「華麗なる一族」のモデルにもなったことで知られている。
※3)同法人はEYメンバーファームのため、KPMGメンバーファームのセンチュリー監査法人と統合することで、実質二つのファームと提携している状態となった。

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